「あなたの好きなモノはなんですか?」
トラックバックって初めて使うんでうまくできているかどうかわからないのだけれど、
asiatさんの書いていたブログに触発されて、好きなモノでも。
「好きなモノ」って、多分たくさんある方が幸せ。
何かの歌詞にあったけれど、ちょっとだけでもいい、「嫌い」よりも「好き」が多い方がいい。
そうやって「好き」を集めていって、自分が形成される。
自分って何だろう、って少し考えたときに、たいていの人の場合は、
好きなモノによって自分が構成されている。
もちろん、違う場合もあると思う。
こんな自分は嫌い、とか、本当の自分はこんなんじゃないんだ、とか。
でも、それって逆に、「好き」がはっきりしてる。
「好き」の状態からかけ離れている、あるいは届いていない状態が嫌で、「嫌い」。
つまり、何が好きか、っていうのは自分自身でわかってる。
結局、「好き」を集めて、「好き」に近付いて。
なりたい自分になる、あるいは気付かないうちに好きな自分になってる。
つまり、「好きなモノは何?」ってことは。
「あなたは何?」と同じこと。
じゃあ僕は何なのか。
とっても、難しい。
たとえば、部屋を見渡してみる。
雑多な部屋。
いっぱいの「好き」を集めた、自分だけの城。
まず目につくのは、本、漫画。
活字を読むのは好き。自分の知らない世界を教えてくれる。
そして同時に、想像力が掻き立てられる。
言ってみれば、文字を吸収して、そこから自分が世界を再構成できる。
昔は好きなジャンルはミステリーだったけど、最近は雑食。
一時時代小説にはまったけど、結局、自分が経験しえないことを読むのが好きなのかも。
ただし、どろどろした感じのはパス。
漫画も好き。シリアスなのよりは、笑えるもの。
最近はストーリーがある漫画よりも、4コマ漫画みたいな感じの方が好き。
気付けば4コマ漫画が大量に。
ちょっとした日常に潜む面白いこととか、ほんわかしたこととか。
4コマ漫画はそういうものを感じられるから、好き。
それから、教科書やらプリントやら。
勉強は嫌い。特に、好きでもない勉強はしたくない。
好きな勉強は、今のところいわゆる生命科学。
将来に関わってくるかどうかは、希望を除けば未定。
好きなことして生きていきたい、という望みはあるから、これで生きていきたい。
CDと、DVD。
CDは女性ボーカルの、あまり激しくない感じのが好き。
最近はもっぱらRound table feat. NinoとParis match、それから相対性理論をヘビーローテーション。
DVDは、水曜どうでしょうと、ラーメンズ、小林賢太郎さんの公演。
小林さんは僕の尊敬する人の一人。
この人は、世界を創る力を持ってる。
じゃあ、次は好きな「人」。
でも、これって難しい。
人を嫌いになるのには、多分理由がいる。
「あの人は○○だから嫌い」とか、「○○な人はちょっと…」とか。
いわゆる生理的嫌悪感とかも、何かしら理由があってのもの。
特に僕は、人を嫌いになることが多い。無論表には出さないのだけれど。
その時、たいていの場合は嫌いな人をグループにしてる。
僕が嫌いなこういうところを持ってるこの人とこの人は似てる、っていう風に。
だから、もしそのグループが二人だったとすれば、片方に対して僕の嫌悪感が高まれば、
自動的にもう一人に対する嫌悪感も高まってしまう。
悪い矛盾だけど、凄く合理的。ちなみにこんな自分は、嫌い。
回り道したけど、人を好きになるのに理由ってない。
まあ、「あの人は命の恩人だから好き」とか、「○○をくれるから好き」っていうのは、ありうると思う。
でも、求めてる関係ってそういうものじゃない。
友人であれ、恋人であれ、話しているだけで楽しくて、話していなくても楽しくて。
一緒にいるだけで楽しくて、別れ際にまた会いたいと思って。
それが「好き」で、いいんじゃないかな、って思う。
特定の理由がなくても、気付いたら好きになってる。
そういう関係って、いいと思う。
そして、そう言える相手が増えるのも、いいことだと思う。
僕の好きなモノは何?
僕は何?
今こうして文章を書いている自分が、
たくさんの人とのつながりの中にいる自分が、
きっと僕自身。
僕の好きなモノは、
あなた。
トラックバックって初めて使うんでうまくできているかどうかわからないのだけれど、
asiatさんの書いていたブログに触発されて、好きなモノでも。
「好きなモノ」って、多分たくさんある方が幸せ。
何かの歌詞にあったけれど、ちょっとだけでもいい、「嫌い」よりも「好き」が多い方がいい。
そうやって「好き」を集めていって、自分が形成される。
自分って何だろう、って少し考えたときに、たいていの人の場合は、
好きなモノによって自分が構成されている。
もちろん、違う場合もあると思う。
こんな自分は嫌い、とか、本当の自分はこんなんじゃないんだ、とか。
でも、それって逆に、「好き」がはっきりしてる。
「好き」の状態からかけ離れている、あるいは届いていない状態が嫌で、「嫌い」。
つまり、何が好きか、っていうのは自分自身でわかってる。
結局、「好き」を集めて、「好き」に近付いて。
なりたい自分になる、あるいは気付かないうちに好きな自分になってる。
つまり、「好きなモノは何?」ってことは。
「あなたは何?」と同じこと。
じゃあ僕は何なのか。
とっても、難しい。
たとえば、部屋を見渡してみる。
雑多な部屋。
いっぱいの「好き」を集めた、自分だけの城。
まず目につくのは、本、漫画。
活字を読むのは好き。自分の知らない世界を教えてくれる。
そして同時に、想像力が掻き立てられる。
言ってみれば、文字を吸収して、そこから自分が世界を再構成できる。
昔は好きなジャンルはミステリーだったけど、最近は雑食。
一時時代小説にはまったけど、結局、自分が経験しえないことを読むのが好きなのかも。
ただし、どろどろした感じのはパス。
漫画も好き。シリアスなのよりは、笑えるもの。
最近はストーリーがある漫画よりも、4コマ漫画みたいな感じの方が好き。
気付けば4コマ漫画が大量に。
ちょっとした日常に潜む面白いこととか、ほんわかしたこととか。
4コマ漫画はそういうものを感じられるから、好き。
それから、教科書やらプリントやら。
勉強は嫌い。特に、好きでもない勉強はしたくない。
好きな勉強は、今のところいわゆる生命科学。
将来に関わってくるかどうかは、希望を除けば未定。
好きなことして生きていきたい、という望みはあるから、これで生きていきたい。
CDと、DVD。
CDは女性ボーカルの、あまり激しくない感じのが好き。
最近はもっぱらRound table feat. NinoとParis match、それから相対性理論をヘビーローテーション。
DVDは、水曜どうでしょうと、ラーメンズ、小林賢太郎さんの公演。
小林さんは僕の尊敬する人の一人。
この人は、世界を創る力を持ってる。
じゃあ、次は好きな「人」。
でも、これって難しい。
人を嫌いになるのには、多分理由がいる。
「あの人は○○だから嫌い」とか、「○○な人はちょっと…」とか。
いわゆる生理的嫌悪感とかも、何かしら理由があってのもの。
特に僕は、人を嫌いになることが多い。無論表には出さないのだけれど。
その時、たいていの場合は嫌いな人をグループにしてる。
僕が嫌いなこういうところを持ってるこの人とこの人は似てる、っていう風に。
だから、もしそのグループが二人だったとすれば、片方に対して僕の嫌悪感が高まれば、
自動的にもう一人に対する嫌悪感も高まってしまう。
悪い矛盾だけど、凄く合理的。ちなみにこんな自分は、嫌い。
回り道したけど、人を好きになるのに理由ってない。
まあ、「あの人は命の恩人だから好き」とか、「○○をくれるから好き」っていうのは、ありうると思う。
でも、求めてる関係ってそういうものじゃない。
友人であれ、恋人であれ、話しているだけで楽しくて、話していなくても楽しくて。
一緒にいるだけで楽しくて、別れ際にまた会いたいと思って。
それが「好き」で、いいんじゃないかな、って思う。
特定の理由がなくても、気付いたら好きになってる。
そういう関係って、いいと思う。
そして、そう言える相手が増えるのも、いいことだと思う。
僕の好きなモノは何?
僕は何?
今こうして文章を書いている自分が、
たくさんの人とのつながりの中にいる自分が、
きっと僕自身。
僕の好きなモノは、
あなた。
通常授業が月曜日で終わり、予定を消化するために集中講義を切った結果、ふと暇になったんですね。
パスポートを取りに行こうかと思ったんですが、
ぎりぎりな時間になってしまいそうで、
そして歯医者の予約はもう埋まっていて、
さあどうしようか、と。
そこで、今まで散々挑戦してきて、結局終わりきっていない、部屋の掃除を始めました。
毎回毎回、ちゃんと片付けようと思ってはいるんですが、
途中で投げてしまったり、妥協してしまったり。
しかしまあ、今回はthoroughlyにやろう、と思ったわけです。
研究室配属がほぼ決定し、いよいよあと2週間もすれば忙しくなるんです。
家庭の事情で一人暮らしはしばらく出来ないんですが、
まあいつ家を出ることになるかはわからない。
今住んでいるここが、自分にとっての「ふるさと」になるかどうかはわからない。
10年後、20年後にここに戻ってくることがあるのかどうかはわからない。
ただ、僕は必ずここからいなくなるわけで。
田舎の旧家とかではないので、色々な物を残したままにしておくことはできないし、
今後僕が必要になるもの以外は捨てた方がいいだろう。
俗な表現を使えば、まあ身軽になろう、と思ったんです。
いざ引っ越しをしよう、って状態だと、おそらく忙しくて、
全部捨てるか、全部持って行くかしかできないだろうと思うんです。
だから、今のうちに選別しておきたいな、と。
本の類、特に文庫や新書は、もう読み返さないだろうな、と思った本であっても、売りたくはない。
所有欲というか、収集欲なんでしょうか。
本だらけの父の部屋を見ると、遺伝なんだなぁと思います。
漫画は4種類にわけられて、「常に手元に置いておきたい」「あれば読み返すかもしれない」
「多分読まないだろうな」「絶対読まないな」という分類をしている途中です。
おそらく絶対読まないものは売り、多分読まないだろうものは、
段ボールに詰めていつでも売れるようにしておくのではないかと。
で、まあそこのあたりが片付けのメイン、花形なんですが、
いかんせん収集癖があるもので、無駄なものも溜め込んであるんですね。
それが、レシート。
食品を買ったようなレシートは3年前から、本やCDを買ったレシートは6年前から取ってありました。
まあ、驚きですよね。
一応それには理由があって、本やCDを大量に買い始めたのが2004年の12月とか、そのあたりから。
きっかけは確か、テレビで見たSchool Rumbleの漫画を買った、だったかな。
そこから漫画をいっぱい、というか、知らない漫画でも積極的に買うようになったんじゃないかと思います。
まあ、思い出の品というか。
ちなみにそのレシート(スクランの1,2巻)はもうほとんど読めませんでした。
なんと儚いものか(笑)。
で、食品などここ最近の方は、まあ無精というか、大事なレシートと選りわける作業をしてなくて、
玉石混交のまま放置されてただけです。
本の方は何買ったかもうほとんど覚えてないんですが、
食品だとか、あとは遊びに行った時の、普段使う店じゃない店のレシートは、
それを見ただけで色々と思い起こされるんですね。
特に、その時自分がおかれていた状況なんかが。
記憶には二種類あって、名前は忘れましたが、
あるものを思い出すときには、必ず「そのもの」の記憶と、「周り」の記憶があるんだとか。
昔の知識なので正しいかどうかは保証しかねますけど。
たとえば「○○という店のラーメン」を思い出すときに、
そのラーメンがどんな見た目で、どんな味で、値段はいくら、といったような記憶と、
その○○という店には誰誰と行って、あの日はその後あそこに行ったな、
というような記憶があるということ。
僕は昔から後者の方が強いみたいで、試験勉強とかの時にも、
「これ自体は思い出せないけど、教科書のあのページのここらへんにあった」とか、
「これは誰誰と一緒に勉強したときの単元で、あの時ああいう面白いことがあったな」
っていうのはよく思い出せるんですね。
まあ、実用的ではないですよね。
それで、前置きが長くなったんですが、というか今までが本題だったような気もしてきますが、
レシートの話。
レシートを見ると、たった1枚の紙、それも情報量がわずかなものなのに、
色々なことが思い起こされます。
店の名前、店の場所。
それを買った日付、時間。
何を買ったのか。値段はいくらだったのか。
そして、何をしたときに買ったものか。
誰と一緒にいたのか。
この時、自分は何を思っていたのか。
たった1枚のレシートなのに、どこで遊んでいて、隣に誰がいて、
その時自分は何を見て、何を感じていたのか。
凄く鮮明に思い出されて、そして中には悲しい記憶もあって、
大げさではなく少し泣きそうになりました。
勿論楽しい思い出もあって、そういうレシートは捨てずにこれからも取っておいたりするわけですが、
何というか、日記でもないのに、レシートには多くの情報があるのだな、と思って、
まあ少し感動したわけです。
あんな悲しい思いはもうしたくないな、とか、あの時は楽しかったな、とか。
ある意味直接的な日記よりも雄弁に語りかけてくるレシートは、
もう記録ではなく記憶の領域にあるのかな、なんて。
気付けばもうこの学校に入ってから3年が経ち、また新しい季節を迎えようとしている。
無為に過ごした日もあったかもしれない。
でも、記憶に残る日だってたくさんあった。
それはとっても素敵なことで、なかなかできることじゃなくて。
これから単調な日々が続くかもしれないけれど、でも、それでも、
一日一日を大切に生きなきゃいけないな、と、改めて思いました。
部屋の掃除は、終わる見込みがありません。
パスポートを取りに行こうかと思ったんですが、
ぎりぎりな時間になってしまいそうで、
そして歯医者の予約はもう埋まっていて、
さあどうしようか、と。
そこで、今まで散々挑戦してきて、結局終わりきっていない、部屋の掃除を始めました。
毎回毎回、ちゃんと片付けようと思ってはいるんですが、
途中で投げてしまったり、妥協してしまったり。
しかしまあ、今回はthoroughlyにやろう、と思ったわけです。
研究室配属がほぼ決定し、いよいよあと2週間もすれば忙しくなるんです。
家庭の事情で一人暮らしはしばらく出来ないんですが、
まあいつ家を出ることになるかはわからない。
今住んでいるここが、自分にとっての「ふるさと」になるかどうかはわからない。
10年後、20年後にここに戻ってくることがあるのかどうかはわからない。
ただ、僕は必ずここからいなくなるわけで。
田舎の旧家とかではないので、色々な物を残したままにしておくことはできないし、
今後僕が必要になるもの以外は捨てた方がいいだろう。
俗な表現を使えば、まあ身軽になろう、と思ったんです。
いざ引っ越しをしよう、って状態だと、おそらく忙しくて、
全部捨てるか、全部持って行くかしかできないだろうと思うんです。
だから、今のうちに選別しておきたいな、と。
本の類、特に文庫や新書は、もう読み返さないだろうな、と思った本であっても、売りたくはない。
所有欲というか、収集欲なんでしょうか。
本だらけの父の部屋を見ると、遺伝なんだなぁと思います。
漫画は4種類にわけられて、「常に手元に置いておきたい」「あれば読み返すかもしれない」
「多分読まないだろうな」「絶対読まないな」という分類をしている途中です。
おそらく絶対読まないものは売り、多分読まないだろうものは、
段ボールに詰めていつでも売れるようにしておくのではないかと。
で、まあそこのあたりが片付けのメイン、花形なんですが、
いかんせん収集癖があるもので、無駄なものも溜め込んであるんですね。
それが、レシート。
食品を買ったようなレシートは3年前から、本やCDを買ったレシートは6年前から取ってありました。
まあ、驚きですよね。
一応それには理由があって、本やCDを大量に買い始めたのが2004年の12月とか、そのあたりから。
きっかけは確か、テレビで見たSchool Rumbleの漫画を買った、だったかな。
そこから漫画をいっぱい、というか、知らない漫画でも積極的に買うようになったんじゃないかと思います。
まあ、思い出の品というか。
ちなみにそのレシート(スクランの1,2巻)はもうほとんど読めませんでした。
なんと儚いものか(笑)。
で、食品などここ最近の方は、まあ無精というか、大事なレシートと選りわける作業をしてなくて、
玉石混交のまま放置されてただけです。
本の方は何買ったかもうほとんど覚えてないんですが、
食品だとか、あとは遊びに行った時の、普段使う店じゃない店のレシートは、
それを見ただけで色々と思い起こされるんですね。
特に、その時自分がおかれていた状況なんかが。
記憶には二種類あって、名前は忘れましたが、
あるものを思い出すときには、必ず「そのもの」の記憶と、「周り」の記憶があるんだとか。
昔の知識なので正しいかどうかは保証しかねますけど。
たとえば「○○という店のラーメン」を思い出すときに、
そのラーメンがどんな見た目で、どんな味で、値段はいくら、といったような記憶と、
その○○という店には誰誰と行って、あの日はその後あそこに行ったな、
というような記憶があるということ。
僕は昔から後者の方が強いみたいで、試験勉強とかの時にも、
「これ自体は思い出せないけど、教科書のあのページのここらへんにあった」とか、
「これは誰誰と一緒に勉強したときの単元で、あの時ああいう面白いことがあったな」
っていうのはよく思い出せるんですね。
まあ、実用的ではないですよね。
それで、前置きが長くなったんですが、というか今までが本題だったような気もしてきますが、
レシートの話。
レシートを見ると、たった1枚の紙、それも情報量がわずかなものなのに、
色々なことが思い起こされます。
店の名前、店の場所。
それを買った日付、時間。
何を買ったのか。値段はいくらだったのか。
そして、何をしたときに買ったものか。
誰と一緒にいたのか。
この時、自分は何を思っていたのか。
たった1枚のレシートなのに、どこで遊んでいて、隣に誰がいて、
その時自分は何を見て、何を感じていたのか。
凄く鮮明に思い出されて、そして中には悲しい記憶もあって、
大げさではなく少し泣きそうになりました。
勿論楽しい思い出もあって、そういうレシートは捨てずにこれからも取っておいたりするわけですが、
何というか、日記でもないのに、レシートには多くの情報があるのだな、と思って、
まあ少し感動したわけです。
あんな悲しい思いはもうしたくないな、とか、あの時は楽しかったな、とか。
ある意味直接的な日記よりも雄弁に語りかけてくるレシートは、
もう記録ではなく記憶の領域にあるのかな、なんて。
気付けばもうこの学校に入ってから3年が経ち、また新しい季節を迎えようとしている。
無為に過ごした日もあったかもしれない。
でも、記憶に残る日だってたくさんあった。
それはとっても素敵なことで、なかなかできることじゃなくて。
これから単調な日々が続くかもしれないけれど、でも、それでも、
一日一日を大切に生きなきゃいけないな、と、改めて思いました。
部屋の掃除は、終わる見込みがありません。
ちょっとTwitterと連携させようかなーとかいっていじってたら記事が消えて泣きそうです。
50分くらいかけて書いたからな…。
頑張って復元します。。。
というわけで、実に一年振りとなりました。
お久し振りです。めばるです。
毎月毎月「いやー数ヶ月くらい更新してないなー」とか思ってたら丸々一年ほったらかしでした。
・Twitter
最近は、というかここ一年ちょっとはTwitterにべったりでした。
昔はそこそこ書いていたmixiの日記もほとんど書かなくなり、
アウトプットはずっとTwitter任せでした。
まあ使いやすい、というのはもちろんあって、ある程度のまとまった文章を書かなくてはいけない
ブログや日記に比べたら、メールで気楽に呟けるTwitterの方が更新頻度が上がるのは
当然と言えば当然かな、と思ったりします。
でも、Twitterだけじゃダメだなー、と最近思っているわけでして。
Twitterはその性質上、常にリアルタイムでアウトプットができるわけですが、
そこにはフォロワーの方々との交流も入ってくる。
ブログだったりは、「読みたければ読んで」というような、いわば投げやり的な、
内輪的なものがあると思うんですが、
Twitterは、言ってみれば学校のクラスみたいなもので、
自分の発言はクラスに向けて大声で喋っているようなもの。
仲のいい人もいれば、ほとんど喋らないような人もいる。
でも一応気にしてはいて、深くはないけれどつながりがある。
そんな中で、自分の意見だったり、主張だったりって言うのは、
もちろん言っちゃいけないなんて決まりはないし、それがなければ面白くないのも事実なんですが、
あまりそればかりというのでも引かれてしまう。
そういうことを実感したわけで、なんというか、
Twitterだけで全てを済まそうと思ったら間違いだぞ、という結論に至ったわけです。
これからはブログもうまく使っていけたらいいなー、と思ってます。
・2010年
もうあと20時間ほどで終わってしまいますが、今年は濃い年でした。
色々あったなー、なんて。
この一年はほとんど遊べないぞ、とか思ってたんですが、実際はそんなことはなく、
むしろ遊びすぎじゃないかってくらい遊んだ気がします。
出会いに感謝して、つながりに感謝して、あなたに感謝して。
これからもよろしくお願いします。
・2011年
まだ実感わきませんが、来年は2011年なんですよね。なんか不思議です。
今年できなかったこと、来年やりたいことを、全部合わせて抱負にしてみました。
なんかちゃんとした抱負を語るのって慣れないですが、自戒も込めて書き記しておきます。
・調査
・挑戦
・吸収
・記録
・保管
・継続
調査:
とにかく知らないことが多すぎる。学問的にも、芸術的にも、その他諸々に関しても。
何を知らないのか、知らないことがあったらすぐに調べる。
幸いそれができる環境にあるのだから、気になったら/気にならなくても調べるように。
まずは知ることから始めないと。
挑戦:
新しいものを試すことに少し抵抗がある、っていうのは自分でもわかる。
一見そんなことないように振舞っているけれど、できれば新しいものに触れず、
現状維持をしていければいいなーと思っている。
その殻を破って、挑戦していく。試してみないことには始まらない。
吸収:
何かを見て/聞いて、あー楽しかった、とか、よかったなー、とか思うのは誰にでもできるわけで。
そこから何を得るのか/得たのか、ということを大事にしていきたい。
色々な物を感じて、自分なりに解釈して、自分のものにする。
ただ吸収するのではなく、自分にしかできない方法で吸収できるように。
記録:
「吸収」は、多分今までも少なからずやっていたこと。でも、それを記録していないから、
同じことを繰り返している可能性もあるし、昔吸収したことを忘れていたりもする。
きちんと記録して、自分が何を得たのか、残しておかないといけない。
インプットだけではなく、アウトプットも同時にできるようにしたい。
保管:
記録しても、それを放っておいては元も子もない。情報は、整理されて、保管されてこそ価値が出るもの。
おそらく様々な媒体で紡がれる多様な「記録」を、保管していく。
記録だけでは見えてこなかったものがあるはずで、この作業を通じて新しい発見があればいいな、と思う。
いつでも取り出せるように、自由自在に。
継続:
いろんな御託を並べたって、それが続かなければ意味はない。
一月経たずにやめてしまうようでは先が思いやられる。
まずは頻度を気にせずに、続けること。そして、やり通すこと。
来年の今頃に、一年やりきった、と言えるように。
この6つのキーワードを柱にして、一連のインプット→アウトプットの流れを作っていければな、と思います。
具体的に考えていることとしては、まず、新しいブログの開設、ってのがあります。
写真を載せるためのブログとか、読書日記をつけるためのブログとか。
今のこのブログとは一線を画して、「物を介したアウトプット」を行う場所。
言ってみれば趣味の世界というか、まあ、そんなところ。
それを更新することで、うまくアウトプットができればいいな、と。
それから、Twitterのアカウントに関しても色々と。
俗な言い方になってしまいますが、「ネット」と「リアル」はわけようかな、と思ってます。
僕は現在「めばる」として呟いていて、そこにネットもリアルもないんですが、
中には本名や所属を曝け出してTwitterをやっている方もいらっしゃるわけで。
そういう人とリアルでつながっていて、ネットでもつながるとなると、
その人たちによって、意図せず(あくまで「僕の」意図ではなく)僕の所属が明らかになってしまうわけです。
僕はあくまでただの「めばる」であって、そこに肩書きは付けたくない。先入観も持たれたくない。
あとは、トラブルにも巻き込まれたくない。
そんなわけで、Twitterを楽しむためのアカウントと、生存報告用というか、
身内と楽しむアカウントはわけようかな、と思っているわけです。
年明けたあたりから本格的に色々やりたいな、って思ってます。
今のところこんなもんでしょうか。
多分さっき書いた内容は網羅したはず。。。
ブログの更新頻度も増やせればいいなー。
では、よいお年を。
50分くらいかけて書いたからな…。
頑張って復元します。。。
というわけで、実に一年振りとなりました。
お久し振りです。めばるです。
毎月毎月「いやー数ヶ月くらい更新してないなー」とか思ってたら丸々一年ほったらかしでした。
最近は、というかここ一年ちょっとはTwitterにべったりでした。
昔はそこそこ書いていたmixiの日記もほとんど書かなくなり、
アウトプットはずっとTwitter任せでした。
まあ使いやすい、というのはもちろんあって、ある程度のまとまった文章を書かなくてはいけない
ブログや日記に比べたら、メールで気楽に呟けるTwitterの方が更新頻度が上がるのは
当然と言えば当然かな、と思ったりします。
でも、Twitterだけじゃダメだなー、と最近思っているわけでして。
Twitterはその性質上、常にリアルタイムでアウトプットができるわけですが、
そこにはフォロワーの方々との交流も入ってくる。
ブログだったりは、「読みたければ読んで」というような、いわば投げやり的な、
内輪的なものがあると思うんですが、
Twitterは、言ってみれば学校のクラスみたいなもので、
自分の発言はクラスに向けて大声で喋っているようなもの。
仲のいい人もいれば、ほとんど喋らないような人もいる。
でも一応気にしてはいて、深くはないけれどつながりがある。
そんな中で、自分の意見だったり、主張だったりって言うのは、
もちろん言っちゃいけないなんて決まりはないし、それがなければ面白くないのも事実なんですが、
あまりそればかりというのでも引かれてしまう。
そういうことを実感したわけで、なんというか、
Twitterだけで全てを済まそうと思ったら間違いだぞ、という結論に至ったわけです。
これからはブログもうまく使っていけたらいいなー、と思ってます。
・2010年
もうあと20時間ほどで終わってしまいますが、今年は濃い年でした。
色々あったなー、なんて。
この一年はほとんど遊べないぞ、とか思ってたんですが、実際はそんなことはなく、
むしろ遊びすぎじゃないかってくらい遊んだ気がします。
出会いに感謝して、つながりに感謝して、あなたに感謝して。
これからもよろしくお願いします。
・2011年
まだ実感わきませんが、来年は2011年なんですよね。なんか不思議です。
今年できなかったこと、来年やりたいことを、全部合わせて抱負にしてみました。
なんかちゃんとした抱負を語るのって慣れないですが、自戒も込めて書き記しておきます。
・調査
・挑戦
・吸収
・記録
・保管
・継続
調査:
とにかく知らないことが多すぎる。学問的にも、芸術的にも、その他諸々に関しても。
何を知らないのか、知らないことがあったらすぐに調べる。
幸いそれができる環境にあるのだから、気になったら/気にならなくても調べるように。
まずは知ることから始めないと。
挑戦:
新しいものを試すことに少し抵抗がある、っていうのは自分でもわかる。
一見そんなことないように振舞っているけれど、できれば新しいものに触れず、
現状維持をしていければいいなーと思っている。
その殻を破って、挑戦していく。試してみないことには始まらない。
吸収:
何かを見て/聞いて、あー楽しかった、とか、よかったなー、とか思うのは誰にでもできるわけで。
そこから何を得るのか/得たのか、ということを大事にしていきたい。
色々な物を感じて、自分なりに解釈して、自分のものにする。
ただ吸収するのではなく、自分にしかできない方法で吸収できるように。
記録:
「吸収」は、多分今までも少なからずやっていたこと。でも、それを記録していないから、
同じことを繰り返している可能性もあるし、昔吸収したことを忘れていたりもする。
きちんと記録して、自分が何を得たのか、残しておかないといけない。
インプットだけではなく、アウトプットも同時にできるようにしたい。
保管:
記録しても、それを放っておいては元も子もない。情報は、整理されて、保管されてこそ価値が出るもの。
おそらく様々な媒体で紡がれる多様な「記録」を、保管していく。
記録だけでは見えてこなかったものがあるはずで、この作業を通じて新しい発見があればいいな、と思う。
いつでも取り出せるように、自由自在に。
継続:
いろんな御託を並べたって、それが続かなければ意味はない。
一月経たずにやめてしまうようでは先が思いやられる。
まずは頻度を気にせずに、続けること。そして、やり通すこと。
来年の今頃に、一年やりきった、と言えるように。
この6つのキーワードを柱にして、一連のインプット→アウトプットの流れを作っていければな、と思います。
具体的に考えていることとしては、まず、新しいブログの開設、ってのがあります。
写真を載せるためのブログとか、読書日記をつけるためのブログとか。
今のこのブログとは一線を画して、「物を介したアウトプット」を行う場所。
言ってみれば趣味の世界というか、まあ、そんなところ。
それを更新することで、うまくアウトプットができればいいな、と。
それから、Twitterのアカウントに関しても色々と。
俗な言い方になってしまいますが、「ネット」と「リアル」はわけようかな、と思ってます。
僕は現在「めばる」として呟いていて、そこにネットもリアルもないんですが、
中には本名や所属を曝け出してTwitterをやっている方もいらっしゃるわけで。
そういう人とリアルでつながっていて、ネットでもつながるとなると、
その人たちによって、意図せず(あくまで「僕の」意図ではなく)僕の所属が明らかになってしまうわけです。
僕はあくまでただの「めばる」であって、そこに肩書きは付けたくない。先入観も持たれたくない。
あとは、トラブルにも巻き込まれたくない。
そんなわけで、Twitterを楽しむためのアカウントと、生存報告用というか、
身内と楽しむアカウントはわけようかな、と思っているわけです。
年明けたあたりから本格的に色々やりたいな、って思ってます。
今のところこんなもんでしょうか。
多分さっき書いた内容は網羅したはず。。。
ブログの更新頻度も増やせればいいなー。
では、よいお年を。
09/12/30
昼夜逆転かも。
掃除を軽くしたけどほとんど出来ていない。
年を越す準備がほとんど出来ていない。
とりあえず今年のものは今年のうちに、ということでブログを更新します。(笑
今日はもう更新しないと思うので、年内最後の更新です。
では皆様、来年もよろしく。
09/12/29
ほぼ徹夜で作業し、昼過ぎに飛び入り作品を投下。
そしてネタばらし。
一応サプライズは成功したのかな。満足。
http://mebaqua.web.fc2.com/dowf.html
壁掛けのカレンダーが欲しいのだけれど、いいサイズ&デザインのものがなかなかみつからない。
09/12/28
友人達と飲み会。
僕のいないところで、っていうか僕が否定しているにもかかわらず僕の話をでっちあげるのはやめてほしい。(笑
そううまくいかないから悩むんであって。
どうにかなると、結論が出ると信じたい。
願わくばいい結果になると信じたい。
帰ってきてからはひたすら作業。
09/12/27
すっごくリアルな嫌な夢を見るなど。
どうしてこうなった。
まあこれが現実なんですけどね。
夢くらいいいものを見させてくれよ。。。
現実を忘れさせてほしい。
誰でもいいってわけじゃない。
りりゅさんのラジオを聞きながら飛び入り作品を作るなど。
09/12/26
寝落ちすると睡眠の質が悪い。
DOWF(Dancing Onigiri Winter Festival)開幕。
http://dowf.xxxxxxxx.jp/
「Loquat」名義で作った作品が一日目に投下されました。
まあ、この時は誰にも言ってなかったので完全に空気ですけど。
09/12/25
嫌な夢を見て起きる。
そのうえ睡眠時間が足りていない。
映画「バベル」を見るなど。
ハッピーエンドではないけれど、完全なバッドエンドとも言えない。
盛り上がりはあったけれど、暗いほうでの盛り上がりだったりして、とにかく一貫して暗い。
これは色々と考えさせられる映画。
想いが伝わるかどうか、ってなかなか難しい。
「バベル」で菊池凜子さんが演じていた女性は聾唖だけれど、
想いを伝えることの難しさと格闘していたように思う。
拒絶と向き合う、というか。
自分の想いを届けるには、どうすればいいのか。
そして、送るだけでは当然ダメで、受け取ってもらわなければならない。
そのうえ、返してもらわなくちゃいけない。
ボールを投げることがこんなに難しいことだとは、昔は思っていなかったと思う。
今はまず、キャッチャーがこっちを向いているかどうか確認しないとボールを投げられなくなっている。
投げた後に「おーい」と叫ぶのでは遅いと、知ってしまった。
同時に、必ずボールを取って、そして返してほしいと思うようになってしまった。
自分がわかりやすすぎてへこむ。
不甲斐ない。
自分すらわからないよりはマシなのだろうか。
それすらわからない。
アゲハ蝶の歌詞に、今ならとても共感できる。
終わらせることは出来るが、終わりはない。
ただ一人、立っているだけ。
夢で会うだけでは物足りない。
愛されたい。
そして、世界が変わっていく。
あなたに、届くように。
09/12/24
特に何もせず終わったかも。
特筆すべきことはない。気がする。
09/12/23
麻雀を打ち続けて徹夜。
ま、楽しかったのでいいんですけど。
しかし日付の感覚がない。
22日だと思ったまま半日以上を過ごした。
色々とひどい。
「帰って寝たら23日の昼になっているはず」という考えだけ残っていた結果だと思うのだけれど、まあ、ひどい。
あとは、一抹の寂しさ。
あるいは、諦め。
または、終わり。
もうわからない。
09/12/22
昼夜逆転のまま。
色々とぶっちぎった挙句体調が悪いとか救いようがない。
幸せな時間。
自分が働くことで周りがよくなるなら、それは幸せ。
でも、自分の楽しみも求めに行く。
今回はそれが出来たので満足。
多分、バランスを取るのがうまくなってきている。
これが年を重ねるっていうことなのかな。
生き方がうまくなってきた、ってこと?
最初からこれじゃつまんないけど、今は悪くないと思える。
09/12/21
相変わらず昼夜逆転。
友人達と夕飯を食べに行き、そのまま朝まで遊び明かすなど。
今まで幸せだと思っていたことが、何でもないようなことになっている。
幸せを感じられなくなったわけではなく、それが当たり前であることに寧ろ幸せを感じるようになっている。
不思議なものです。
もっと、幸せな時間が続けばいいのに。
09/12/20
昼夜逆転。
ラジオっていいよね。
映像がないぶん、受け手に色々考えさせることができる。
不自由さを逆手に取ることができる。
こういう、なんていうかディスアドバンテージをアドバンテージに変えるのって大好き。
09/12/19
作品無事ほぼ完成。
よかった。
サッカーのクラブW杯を見るなど。
やっぱ世界レベルは違うね。
テクニックやらパスワークやらがきれい。
ただ、サッカーは見るのも好きだしやるのも好きだけど、たまに嫌な気持ちにさせられる。
肉体的接触が多いせいか、下手すると殴り合いのようなことも出来てしまう。
特に、体を使ったチャージなんかは大嫌い。
あとは時間稼ぎとか。
やろうと思えば汚いことも出来てしまうのがサッカー。
世界がいい人ばかりだったらいいのに。
09/12/18
色々と予定外が重なる。
DOWFの提出作品を作っていたら修羅場。
これに関してはいずれ触れます。
09/12/17
日中は特に何もなく、夜に軽く修羅場。レポートやら何やら。
些細なことで、凄く機嫌がよくなる。
そんなに気になるか、と言われるとどうしようもないけれど、気になるものはそれこそどうしようもない。
機嫌のいいまま徹夜。
09/12/16
PCを点検してもらったところ、メモリに異常があることが判明。
修理に出さなくてはならないそう。
ただ、年末年始は使いたいので悩むところ。
聞いたところいつでもいいそうなので、年が明けてからにする。
テレビ番組とそれに関する「季節の記憶」って、結構ある気がする。
特にDVDなんかだと。
僕は昔から、記憶の中の物事よりも、それを覚えたときの周囲の状況を記憶する方が得意みたいなんですよね。
エピソード記憶、というと多分少し違うけれど、物事そのものが思い浮かばなくても、
そのときの周囲の状況は思い出せるっていうことです。
この言葉習った気がするけど言葉が出てこない。あの授業で習った気がするんだけどな。
…今まさにそれになってるわけです。(笑
だから、物事よりも先に風景であったり、空の色であったり、
誰がそれを言っていたかや、どんな反応がそれに返っていたかを思い出す。
便利なようでくせものですね。こいつは。
他の人がどうなのか知りませんが、どうも僕はこいつが強いみたい。
嫌いじゃないですけどね、こいつ。
だから、って言うと語弊があるか。
まあこれのせいかはわかりませんが、○○って何?って聞かれて、即答できない。
単語とか用語とか聞かれると、まず先にその意味よりも「これはあの時徹夜して覚えた単語だ」とか、「これはあの先生に教わった事柄だ」とかが出てくるんで、たとえばテスト前の「○○は?」「○○!」みたいな一問一答の即答しあう問題の出し合いは苦手なんですよ。
じっくり思い出さざるを得ないから。
もうこのもどかしさにも慣れましたけどね。
うまく付き合っていきますさ。
09/12/15
社会科見学。
充足をエネルギーとするのではなく、渇望を活力として動きたい。
何かに関する「渇望→充足」のエネルギーを、違うことに向けられればと思う。
欲望のすり替えというか、そんな感じ。
一つのことで満たされて、それで終わりではいけない。
気分が乗らないから仕事をしない、というのは絶対に一流ではない。
わかってはいるけれど気分が乗らず、仕事をしない。
もっと成長したい。
09/12/14
旅行に行きたい。
新潟とか、日本海側。
というか、電車の中にあるJRの広告が反則的。あるいは販促的。
寒ブリがすっごい美味しそう。
新潟、いいと思うんだ。
イルミネーションが相変わらず。
この世に無駄なものなんて、山のようにあると思う。
でも、この世というスケールから見たら、その山のような無駄は些細なもの。
そのスケールがいいとは言わない。
でも、どちらのスケールも持った、複数の視点を持った人間でありたい。
結局、一番ものをわかってるのは現場の人間、蟻の視点なんじゃないかな。
ただ、鳥の視点も必要でないわけではないし、ないと寧ろ困る。
どちらかと言えば鳥の視点を持っていたいけど、捨てたくないのは蟻の視点。
常に現場で物事を見ていたい。
複雑。
09/12/13
部屋の掃除。
たまにやらないとひどいことになっていきますからね。
居住スペースが日々減っていくのです。
相変わらず本やら漫画やらを溜め込んでいるので、だんだん本棚が埋まっていきもう多分入りきってない。
掃除してると、懐かしいものが見つかったりもしますよね。
いい思い出もあり、悪い思い出もあり。
ま、全部ひっくるめて自分だと考えると、この部屋って自分自身なんだな、と思ったり。
…もっとしっかり掃除しようかな。(笑
あと、このブログの名前「めばる日和」で検索したらここが2番目にくることが判明。
夏にはこんなはずじゃなかったと思ったのだけれど。
あとはサイトの名前で検索したらトップだったし。どうなってんだろ。
全然関係ないですけど、「萌春」と書いてめばると読ませる子供が世の中にいる可能性があるらしいですね。
めばるってそんなにかわいい魚でもないのに。
ふいに、「いつの自分が一番幸せだったんだろう」と考えました。
今は確かに辛いことが多いけど、昔と比べてどうなんだろう、って。
昨日は今日より幸せだった?先週は?先月は?半年前は?一年前は?それよりもっと前は?
でも、結局答えは出なかった。
一長一短というか、常に何かしら欠けている気がしたから。
でも人生ってきっとそんなものですよね。
欠けていることに気付くから、それを埋めたがる。
そしてまた違う部分の不足に気付き、埋めようとする。
その、繰り返し。
幸せだったであろう昔を想うよりも、より幸せになるであろう未来を想う方が、多分いいことなんでしょう。
自分が膨張していく限り穴も大きくなるけど、それを埋める能力も上がっていく。
とりあえず、前を向いて歩こう。
欲しいものが手に入ればそれで満足かというと、そうでもない。
難しいというか、めんどくさいな自分。
それと、理解されないのは構わないのだけれど、曲解するのはやめてほしい。
もちろん、理解されるのが一番ですけど。
09/12/12
ワンピースの映画を観てきました。
相変わらず世界観が凄いですね。
引き込まれるというか、吸い込まれるというか。
これだけの世界観を作ることも凄いし、それを多くの人が共有しているというのも凄い。
つまりなんというか、共有している人数が多ければ多いほど、ある意味ではそれだけ好き勝手なことが出来るということ。
羨ましい限りですけど、それだって当然今までの実績があってのことで、まあ、一朝一夕にはいかないな、というところでしょうか。
あと、クリスマスシーズンですね。雰囲気がもう、ね。
これも、一つの世界観。
「クリスマス」というイベントを中心として、世界が染まって、回ってる。
これも凄い影響力。
染まりたいとは思わないけれど、まあ染まれるようになれば楽しいんだろうな。
そして結局やり残したことが多々あったので、あまり遊ばずに帰宅。
昼夜逆転かも。
掃除を軽くしたけどほとんど出来ていない。
年を越す準備がほとんど出来ていない。
とりあえず今年のものは今年のうちに、ということでブログを更新します。(笑
今日はもう更新しないと思うので、年内最後の更新です。
では皆様、来年もよろしく。
09/12/29
ほぼ徹夜で作業し、昼過ぎに飛び入り作品を投下。
そしてネタばらし。
一応サプライズは成功したのかな。満足。
http://mebaqua.web.fc2.com/dowf.html
壁掛けのカレンダーが欲しいのだけれど、いいサイズ&デザインのものがなかなかみつからない。
09/12/28
友人達と飲み会。
僕のいないところで、っていうか僕が否定しているにもかかわらず僕の話をでっちあげるのはやめてほしい。(笑
そううまくいかないから悩むんであって。
どうにかなると、結論が出ると信じたい。
願わくばいい結果になると信じたい。
帰ってきてからはひたすら作業。
09/12/27
すっごくリアルな嫌な夢を見るなど。
どうしてこうなった。
まあこれが現実なんですけどね。
夢くらいいいものを見させてくれよ。。。
現実を忘れさせてほしい。
誰でもいいってわけじゃない。
りりゅさんのラジオを聞きながら飛び入り作品を作るなど。
09/12/26
寝落ちすると睡眠の質が悪い。
DOWF(Dancing Onigiri Winter Festival)開幕。
http://dowf.xxxxxxxx.jp/
「Loquat」名義で作った作品が一日目に投下されました。
まあ、この時は誰にも言ってなかったので完全に空気ですけど。
09/12/25
嫌な夢を見て起きる。
そのうえ睡眠時間が足りていない。
映画「バベル」を見るなど。
ハッピーエンドではないけれど、完全なバッドエンドとも言えない。
盛り上がりはあったけれど、暗いほうでの盛り上がりだったりして、とにかく一貫して暗い。
これは色々と考えさせられる映画。
想いが伝わるかどうか、ってなかなか難しい。
「バベル」で菊池凜子さんが演じていた女性は聾唖だけれど、
想いを伝えることの難しさと格闘していたように思う。
拒絶と向き合う、というか。
自分の想いを届けるには、どうすればいいのか。
そして、送るだけでは当然ダメで、受け取ってもらわなければならない。
そのうえ、返してもらわなくちゃいけない。
ボールを投げることがこんなに難しいことだとは、昔は思っていなかったと思う。
今はまず、キャッチャーがこっちを向いているかどうか確認しないとボールを投げられなくなっている。
投げた後に「おーい」と叫ぶのでは遅いと、知ってしまった。
同時に、必ずボールを取って、そして返してほしいと思うようになってしまった。
自分がわかりやすすぎてへこむ。
不甲斐ない。
自分すらわからないよりはマシなのだろうか。
それすらわからない。
アゲハ蝶の歌詞に、今ならとても共感できる。
終わらせることは出来るが、終わりはない。
ただ一人、立っているだけ。
夢で会うだけでは物足りない。
愛されたい。
そして、世界が変わっていく。
あなたに、届くように。
09/12/24
特に何もせず終わったかも。
特筆すべきことはない。気がする。
09/12/23
麻雀を打ち続けて徹夜。
ま、楽しかったのでいいんですけど。
しかし日付の感覚がない。
22日だと思ったまま半日以上を過ごした。
色々とひどい。
「帰って寝たら23日の昼になっているはず」という考えだけ残っていた結果だと思うのだけれど、まあ、ひどい。
あとは、一抹の寂しさ。
あるいは、諦め。
または、終わり。
もうわからない。
09/12/22
昼夜逆転のまま。
色々とぶっちぎった挙句体調が悪いとか救いようがない。
幸せな時間。
自分が働くことで周りがよくなるなら、それは幸せ。
でも、自分の楽しみも求めに行く。
今回はそれが出来たので満足。
多分、バランスを取るのがうまくなってきている。
これが年を重ねるっていうことなのかな。
生き方がうまくなってきた、ってこと?
最初からこれじゃつまんないけど、今は悪くないと思える。
09/12/21
相変わらず昼夜逆転。
友人達と夕飯を食べに行き、そのまま朝まで遊び明かすなど。
今まで幸せだと思っていたことが、何でもないようなことになっている。
幸せを感じられなくなったわけではなく、それが当たり前であることに寧ろ幸せを感じるようになっている。
不思議なものです。
もっと、幸せな時間が続けばいいのに。
09/12/20
昼夜逆転。
ラジオっていいよね。
映像がないぶん、受け手に色々考えさせることができる。
不自由さを逆手に取ることができる。
こういう、なんていうかディスアドバンテージをアドバンテージに変えるのって大好き。
09/12/19
作品無事ほぼ完成。
よかった。
サッカーのクラブW杯を見るなど。
やっぱ世界レベルは違うね。
テクニックやらパスワークやらがきれい。
ただ、サッカーは見るのも好きだしやるのも好きだけど、たまに嫌な気持ちにさせられる。
肉体的接触が多いせいか、下手すると殴り合いのようなことも出来てしまう。
特に、体を使ったチャージなんかは大嫌い。
あとは時間稼ぎとか。
やろうと思えば汚いことも出来てしまうのがサッカー。
世界がいい人ばかりだったらいいのに。
09/12/18
色々と予定外が重なる。
DOWFの提出作品を作っていたら修羅場。
これに関してはいずれ触れます。
09/12/17
日中は特に何もなく、夜に軽く修羅場。レポートやら何やら。
些細なことで、凄く機嫌がよくなる。
そんなに気になるか、と言われるとどうしようもないけれど、気になるものはそれこそどうしようもない。
機嫌のいいまま徹夜。
09/12/16
PCを点検してもらったところ、メモリに異常があることが判明。
修理に出さなくてはならないそう。
ただ、年末年始は使いたいので悩むところ。
聞いたところいつでもいいそうなので、年が明けてからにする。
テレビ番組とそれに関する「季節の記憶」って、結構ある気がする。
特にDVDなんかだと。
僕は昔から、記憶の中の物事よりも、それを覚えたときの周囲の状況を記憶する方が得意みたいなんですよね。
エピソード記憶、というと多分少し違うけれど、物事そのものが思い浮かばなくても、
そのときの周囲の状況は思い出せるっていうことです。
この言葉習った気がするけど言葉が出てこない。あの授業で習った気がするんだけどな。
…今まさにそれになってるわけです。(笑
だから、物事よりも先に風景であったり、空の色であったり、
誰がそれを言っていたかや、どんな反応がそれに返っていたかを思い出す。
便利なようでくせものですね。こいつは。
他の人がどうなのか知りませんが、どうも僕はこいつが強いみたい。
嫌いじゃないですけどね、こいつ。
だから、って言うと語弊があるか。
まあこれのせいかはわかりませんが、○○って何?って聞かれて、即答できない。
単語とか用語とか聞かれると、まず先にその意味よりも「これはあの時徹夜して覚えた単語だ」とか、「これはあの先生に教わった事柄だ」とかが出てくるんで、たとえばテスト前の「○○は?」「○○!」みたいな一問一答の即答しあう問題の出し合いは苦手なんですよ。
じっくり思い出さざるを得ないから。
もうこのもどかしさにも慣れましたけどね。
うまく付き合っていきますさ。
09/12/15
社会科見学。
充足をエネルギーとするのではなく、渇望を活力として動きたい。
何かに関する「渇望→充足」のエネルギーを、違うことに向けられればと思う。
欲望のすり替えというか、そんな感じ。
一つのことで満たされて、それで終わりではいけない。
気分が乗らないから仕事をしない、というのは絶対に一流ではない。
わかってはいるけれど気分が乗らず、仕事をしない。
もっと成長したい。
09/12/14
旅行に行きたい。
新潟とか、日本海側。
というか、電車の中にあるJRの広告が反則的。あるいは販促的。
寒ブリがすっごい美味しそう。
新潟、いいと思うんだ。
イルミネーションが相変わらず。
この世に無駄なものなんて、山のようにあると思う。
でも、この世というスケールから見たら、その山のような無駄は些細なもの。
そのスケールがいいとは言わない。
でも、どちらのスケールも持った、複数の視点を持った人間でありたい。
結局、一番ものをわかってるのは現場の人間、蟻の視点なんじゃないかな。
ただ、鳥の視点も必要でないわけではないし、ないと寧ろ困る。
どちらかと言えば鳥の視点を持っていたいけど、捨てたくないのは蟻の視点。
常に現場で物事を見ていたい。
複雑。
09/12/13
部屋の掃除。
たまにやらないとひどいことになっていきますからね。
居住スペースが日々減っていくのです。
相変わらず本やら漫画やらを溜め込んでいるので、だんだん本棚が埋まっていきもう多分入りきってない。
掃除してると、懐かしいものが見つかったりもしますよね。
いい思い出もあり、悪い思い出もあり。
ま、全部ひっくるめて自分だと考えると、この部屋って自分自身なんだな、と思ったり。
…もっとしっかり掃除しようかな。(笑
あと、このブログの名前「めばる日和」で検索したらここが2番目にくることが判明。
夏にはこんなはずじゃなかったと思ったのだけれど。
あとはサイトの名前で検索したらトップだったし。どうなってんだろ。
全然関係ないですけど、「萌春」と書いてめばると読ませる子供が世の中にいる可能性があるらしいですね。
めばるってそんなにかわいい魚でもないのに。
ふいに、「いつの自分が一番幸せだったんだろう」と考えました。
今は確かに辛いことが多いけど、昔と比べてどうなんだろう、って。
昨日は今日より幸せだった?先週は?先月は?半年前は?一年前は?それよりもっと前は?
でも、結局答えは出なかった。
一長一短というか、常に何かしら欠けている気がしたから。
でも人生ってきっとそんなものですよね。
欠けていることに気付くから、それを埋めたがる。
そしてまた違う部分の不足に気付き、埋めようとする。
その、繰り返し。
幸せだったであろう昔を想うよりも、より幸せになるであろう未来を想う方が、多分いいことなんでしょう。
自分が膨張していく限り穴も大きくなるけど、それを埋める能力も上がっていく。
とりあえず、前を向いて歩こう。
欲しいものが手に入ればそれで満足かというと、そうでもない。
難しいというか、めんどくさいな自分。
それと、理解されないのは構わないのだけれど、曲解するのはやめてほしい。
もちろん、理解されるのが一番ですけど。
09/12/12
ワンピースの映画を観てきました。
相変わらず世界観が凄いですね。
引き込まれるというか、吸い込まれるというか。
これだけの世界観を作ることも凄いし、それを多くの人が共有しているというのも凄い。
つまりなんというか、共有している人数が多ければ多いほど、ある意味ではそれだけ好き勝手なことが出来るということ。
羨ましい限りですけど、それだって当然今までの実績があってのことで、まあ、一朝一夕にはいかないな、というところでしょうか。
あと、クリスマスシーズンですね。雰囲気がもう、ね。
これも、一つの世界観。
「クリスマス」というイベントを中心として、世界が染まって、回ってる。
これも凄い影響力。
染まりたいとは思わないけれど、まあ染まれるようになれば楽しいんだろうな。
そして結局やり残したことが多々あったので、あまり遊ばずに帰宅。
09/12/11
頭が痛い。
ダブルミーニングで。
肉体的なものも、精神的なものも。
抱え込みすぎてるだけって言われればそうだけど、でも捌ききれないものでもないはず。
やるしかないのにやれていない。
あるいは、やろうとしていない。
何故かわからないけれど、最近何かを終わらせるのが怖い。
仕事であれ読書であれ勉強であれ、それが終わると、何か強迫観念にさらされる。
次のことをやらなくちゃ、とか、そんな感じの。
だから終わらせたくなくなってくる。
何でだろうね。
言い訳かもしれないけれど。うん。
終わらせるのが怖い。
続けていたい。
きっと、僕は今がいつまでも続けばいいと思ってる。
この幸せな時間が終わらないように、って。
もし、願いが叶うならば。
今よ、永遠に。
でも、もし本当に願いが叶うならば。
今よりも、もっと幸せに。
ただ今日問題だったのは、主に肉体的な頭痛のほう。
午後になればマシになるかと思ったけど、そうでもなかった。
雨の日はなりやすい気がする。
気をつけよう。
でも兆候は水・木で何となくあったんだよね。
限界が見えたというか。
そこでしっかり休まなきゃいけなかったし、あるいは片付けておかなくちゃいけなかった。
自己管理がまだまだ甘いってことかな。
非常に不本意な形ではあったけれど、一週間が終わった。
積み残しがいっぱい。
土日で何とか少しでも片付けなきゃいけない。
月が見たい気分だったのだけれど、生憎の曇り空。
そうでなくとも今日は下弦の月なのであまり見られないのか。
月に群雲花に風、とは言うものの、そこに月がなければ、花がなければ、もっと殺風景なものになってしまう。
そこにあってほしい。
月を見ると狂気に襲われるけれど、月を見なくても狂ってしまう。
既におかしいんだろう。きっと。
寒い空間の中にいると、何故か「生きてる」って実感できる。
だから、今も僕の部屋の窓は半開。
頭寒足熱に則って、半身は布団に突っ込んでます。
この温度が好き。
何故かは知らないけれどね。
無性に人恋しくなってきた。
明日は色々な買い物をしたりしたいので、早めに寝よう。
買い物して映画見て友人の家に遊びに行く予定なので、何だかんだ言って忙しい。
やることやってから遊びに行かないとな。
あまりにタスクが終わらなかったらさすがに遊ぶの遠慮しようかな。
09/12/10
結局寝坊。
木曜に学校に行くと大体いいことがあるのだけれど、昼から行くだけの元気がなかった。
後から考えてみればこの時点でもう「兆候」としては充分すぎたのかもしれない。
金曜日のような気がしてしまって仕方がない。
ただあと一日ある。
これも後から考えてみれば…、という感じ。
体は限界を感じていたのかな。
人に何かを教えるのって、難しい。
自分が通ってきた道だからわかっているはずなのだけれど、
でもやっぱり「今の自分」が「昔の自分」のことを考えずに好き勝手やっている印象がある。
自分の中でさえそうなんだから、教わっているほうはたまったもんじゃないだろうな。
出来る限りのことはしたいのだけれど。
本当の「結果」は、それが終わらない限りわからない。
途中経過ならいくらでもわかる。
そのときには、負けているかもしれない。
ただ、そこでの勝敗に意味はない。
勝っていたら嬉しいし、負けていたら悔しい。
でも、それだけ。
それだけなんだ。
全て終わったときに自分が膝をついていなければ、それは成功という結果。
逆に、自分の視界に地面しか見えていなければ、それは失敗という結果。
自分でもわかっているつもりだけれど、今に固執してしまう。
もちろん「今を楽しく生きる」っていう観念から言えばそこにこだわるのは悪いことではない、
というかまあ、今の自分は結局そこを求めているんだろうな、というのはある。
でも、それだけになってしまってはいけない。
そういうこと。
バランスって難しい。
そもそも、人生って難しい。
ゴールって何?
そこに何があるの?
でも、「何があるか」よりも、「誰がいるか」、あるいは「誰といるか」の方が重要だと思う。
人生で最も得るべきものは、人とのつながり。
そして同時にそれは、最も得がたいもの。
甘えたくはない。
けれど、つながっていたい。
最早何もわからない。
何もせず、無為に夜を過ごす。
09/12/09
予定外のことをやったり、予定してたことができなかったり。
自分が心地よい空間を作ろうとしているのだけれど、多分うまくいっていない。
最近少しぎこちなくなってきた気がする。
僕はうまく笑えてるのかな。
自分が思うように立ち回れないというか、何か、そんな感じ。
いや、多分周りから見ればそうでもないのだろうけれど、僕としては納得がいってないってだけ。
まあそもそも自分がどう見られているのかってことがわからないけれどね。
色々と衝動買い。
衝動買いをするのはあまりいい兆候ではないとわかっているけれど、どうにもならない。
そう言うと何かあれだけど、その瞬間はそれで満足している。
いや、正確には満足しているわけじゃない。
他の何かで満たされることがないから、「買う」ことで埋め合わせているというか。
この衝動に襲われるときは、「ほんとにやばい」の一歩手前。
狂気、かな。
結局、情報を取捨選択するのは自分の権利であり義務でもあると思う。
そこで努力を怠ったら、それで負け。
友人とスカイプでチャットしていたら3時半。
久々に話せたのでよかったですが、まあ自己管理的な意味ではアウトですよね。
頭が痛い。
ダブルミーニングで。
肉体的なものも、精神的なものも。
抱え込みすぎてるだけって言われればそうだけど、でも捌ききれないものでもないはず。
やるしかないのにやれていない。
あるいは、やろうとしていない。
何故かわからないけれど、最近何かを終わらせるのが怖い。
仕事であれ読書であれ勉強であれ、それが終わると、何か強迫観念にさらされる。
次のことをやらなくちゃ、とか、そんな感じの。
だから終わらせたくなくなってくる。
何でだろうね。
言い訳かもしれないけれど。うん。
終わらせるのが怖い。
続けていたい。
きっと、僕は今がいつまでも続けばいいと思ってる。
この幸せな時間が終わらないように、って。
もし、願いが叶うならば。
今よ、永遠に。
でも、もし本当に願いが叶うならば。
今よりも、もっと幸せに。
ただ今日問題だったのは、主に肉体的な頭痛のほう。
午後になればマシになるかと思ったけど、そうでもなかった。
雨の日はなりやすい気がする。
気をつけよう。
でも兆候は水・木で何となくあったんだよね。
限界が見えたというか。
そこでしっかり休まなきゃいけなかったし、あるいは片付けておかなくちゃいけなかった。
自己管理がまだまだ甘いってことかな。
非常に不本意な形ではあったけれど、一週間が終わった。
積み残しがいっぱい。
土日で何とか少しでも片付けなきゃいけない。
月が見たい気分だったのだけれど、生憎の曇り空。
そうでなくとも今日は下弦の月なのであまり見られないのか。
月に群雲花に風、とは言うものの、そこに月がなければ、花がなければ、もっと殺風景なものになってしまう。
そこにあってほしい。
月を見ると狂気に襲われるけれど、月を見なくても狂ってしまう。
既におかしいんだろう。きっと。
寒い空間の中にいると、何故か「生きてる」って実感できる。
だから、今も僕の部屋の窓は半開。
頭寒足熱に則って、半身は布団に突っ込んでます。
この温度が好き。
何故かは知らないけれどね。
無性に人恋しくなってきた。
明日は色々な買い物をしたりしたいので、早めに寝よう。
買い物して映画見て友人の家に遊びに行く予定なので、何だかんだ言って忙しい。
やることやってから遊びに行かないとな。
あまりにタスクが終わらなかったらさすがに遊ぶの遠慮しようかな。
09/12/10
結局寝坊。
木曜に学校に行くと大体いいことがあるのだけれど、昼から行くだけの元気がなかった。
後から考えてみればこの時点でもう「兆候」としては充分すぎたのかもしれない。
金曜日のような気がしてしまって仕方がない。
ただあと一日ある。
これも後から考えてみれば…、という感じ。
体は限界を感じていたのかな。
人に何かを教えるのって、難しい。
自分が通ってきた道だからわかっているはずなのだけれど、
でもやっぱり「今の自分」が「昔の自分」のことを考えずに好き勝手やっている印象がある。
自分の中でさえそうなんだから、教わっているほうはたまったもんじゃないだろうな。
出来る限りのことはしたいのだけれど。
本当の「結果」は、それが終わらない限りわからない。
途中経過ならいくらでもわかる。
そのときには、負けているかもしれない。
ただ、そこでの勝敗に意味はない。
勝っていたら嬉しいし、負けていたら悔しい。
でも、それだけ。
それだけなんだ。
全て終わったときに自分が膝をついていなければ、それは成功という結果。
逆に、自分の視界に地面しか見えていなければ、それは失敗という結果。
自分でもわかっているつもりだけれど、今に固執してしまう。
もちろん「今を楽しく生きる」っていう観念から言えばそこにこだわるのは悪いことではない、
というかまあ、今の自分は結局そこを求めているんだろうな、というのはある。
でも、それだけになってしまってはいけない。
そういうこと。
バランスって難しい。
そもそも、人生って難しい。
ゴールって何?
そこに何があるの?
でも、「何があるか」よりも、「誰がいるか」、あるいは「誰といるか」の方が重要だと思う。
人生で最も得るべきものは、人とのつながり。
そして同時にそれは、最も得がたいもの。
甘えたくはない。
けれど、つながっていたい。
最早何もわからない。
何もせず、無為に夜を過ごす。
09/12/09
予定外のことをやったり、予定してたことができなかったり。
自分が心地よい空間を作ろうとしているのだけれど、多分うまくいっていない。
最近少しぎこちなくなってきた気がする。
僕はうまく笑えてるのかな。
自分が思うように立ち回れないというか、何か、そんな感じ。
いや、多分周りから見ればそうでもないのだろうけれど、僕としては納得がいってないってだけ。
まあそもそも自分がどう見られているのかってことがわからないけれどね。
色々と衝動買い。
衝動買いをするのはあまりいい兆候ではないとわかっているけれど、どうにもならない。
そう言うと何かあれだけど、その瞬間はそれで満足している。
いや、正確には満足しているわけじゃない。
他の何かで満たされることがないから、「買う」ことで埋め合わせているというか。
この衝動に襲われるときは、「ほんとにやばい」の一歩手前。
狂気、かな。
結局、情報を取捨選択するのは自分の権利であり義務でもあると思う。
そこで努力を怠ったら、それで負け。
友人とスカイプでチャットしていたら3時半。
久々に話せたのでよかったですが、まあ自己管理的な意味ではアウトですよね。


